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BLOGTOP » ARCHIVE … 2014年03月

1年ぶりに・・・浪江の自宅へ帰って来ました。

春風が肌に心地よく感じる季節になりました。
あちらこちらで桜の開花が報じられ、こちら京都ももうすぐ美しい桜の時期を迎えます。

さて先日、約一年ぶりに浪江の自宅に一時帰宅をしてきました。

今回は、奈良県に住んでいる長男が、是非、浪江の自宅、そして自分の母校の今の姿を見ておきたいと常々言っており、急きょ、行くことになりました。
私自身も一年ぶりの帰宅になるので、いろいろな方から家の被害の状況などを耳にしており、とても不安な気持ちと怖い気持ちもあったのですが、それよりも何よりも一番怖かったのは、運転歴丸1年の長男の車で、関西から浪江に行くということでした。(『大丈夫だよ』の言葉に覚悟を決め、私の命は息子に預けました。)

に遭いながらも何とか無事に福島市に到着し、翌日浪江町に入りました。
見慣れた風景は、一年前とあまり変化がありませんでしたが、やはり人と車がほとんど通っていない町の静けさは、寂しく殺伐とした感じがしました。

長男は、思い出がいっぱいある懐かしい浪江中学校と浪江小学校、中央公園を見て、がっかりしたようです。それぞれの学校の校庭は、一面に雑草が伸び、野原のようになっていました。 
 浪小の校庭
帰宅校庭

その後、通学路を通り、小さい時からよく行っていたサンプラザ、毎日利用した浪江駅など思い出の場所をたどりながら、町内をぐるりと見て回りました。

 春の装いもなぜか悲しいディスプレイ
帰宅(サンプラ)

長男は、震災の年にサンシャイン浪江で行われた成人式に出席したのが、浪江での最後の思い出になりました。それまでの20年間、浪江生まれ浪江育ちで、進学のために町を離れてからは、一層ふるさと浪江を思う気持ちは大きく、遠く離れているからこそ、その温かさや大切さがわかったと言います。(なるほど、やはり親元を離れて少しは有り難味がわかってくれたかな

帰るふるさとがある・・・遠くにあってもいつでも自分を受け入れてもらえるという安心感があるからこそ、どこにいても頑張れる 浪江町は、そう思わせてくれる本当に大きな存在だったのです。

そして、いよいよ自宅へ・・・
 私   『ただいまぁ。』  
 ネズミ 『おかえりー。』 そんな声が聞こえたような

一年ぶりの我が家は、枯れた庭木が伸び放題でしたが、家の中は、思ったよりの被害も少なかったようです。でも、これからもっと年月が経っていけば、床や畳も傷みが確実に進んでいくだろうと思います。
せっかく行ったのだから、持ち出したい物もいろいろと目に付いたのですが、探し始めるときりがないので、今回は、ほとんど手をつけることなく、さんにお留守番をお願いして、我が家を後にしました。

長男も我が家を写真に残し、これからも年に一度は、自分の目で見に来たいと言っています。
親の世代、子供の世代それぞれに感じ方や思いはさまざまですが、私達は、この浪江町に育ててもらったことに感謝し、遠く離れていても浪江町のことを思いながら、また頑張れる気がしてきました。

さてさて、今年度の浪江町復興支援員の活動を皆様に温かく見守っていただきまして、ありがとうございました。
来年度も引き続き、浪江町の皆さんとのふれあいを大切にしながら、一人でも多くの方の笑顔にお会いできることを楽しみにしています。どうぞよろしくお願いします。


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3月11日・・・3年が過ぎて思うこと。

3年前のあの時も今日のようにつめたい風が、肌に痛く感じる午後でした。

ここ最近は、テレビや新聞などの報道でも震災関連のニュースや特集が組まれ、つらく悲しい映像を見るたびにまたあの日の気持ちがよみがえります。

一言で3年といいますが、震災、原発事故、避難・・・。初めは長くてもどかしくて、でも思えばあっという間の3年。そして私達は今も、遠くふるさとを離れて生きています。

私自身、こうして今3年を過ぎて思うことは、今日まで、たくさんの人に支えられてここまで歩いて来れたということです。
震災があって、さまざまな苦難や辛さ悲しさにも遭いながらもこうして今を生きているということに心から感謝をしたいと思います

震災の後、30年以上も昔の友人から連絡をいただいたり、私の消息をずっと心配して下さった先輩や知人の方からも何とか私の連絡先を探し出してくださり、電話をいただいた時は、涙が出るほど嬉しかったです。
また、震災以降、いろいろな面で、支援をしてくださった方たちとの出会いもとても大きな支えになりました。
本当に人とのつながりの温かさを身をもって感じています。

今日は、犠牲になられた人たちへの追悼の気持ち、遠いふるさとへの思い、そして支えてくださっている方たちへの感謝の気持ちで一日を過ごしたいと思います。 






浪江町のしゃべり場 in 倉敷を開催しました♪

桃の節句も過ぎ、少しずつ春めいてきましたね。
梅の花も今が見頃となっていますが、今の季節、風に乗って花粉も飛んでいます
私もそうですが、これから少しの間、花粉症の人にはちょっと辛い季節ですね。

さて先日、今年度最後の交流会となる浪江町のしゃべり場in倉敷が開催されました。
会場になった倉敷市の倉敷物語館は、美観地区の入り口に位置し、建築されたのが江戸期ということで、長屋門や路地の雰囲気は当時の風情が感じられるとても落ち着いた建物でした。

美観地区
倉敷美観地区と物語館
物語館

今回の交流会は、浪江町の交流会としては3回目になり、岡山県、香川県にお住まいの町民の方々に参加していただきました。
そして当日は、岡山県の木幡副知事にもお越しいただき、町民の方のお話を熱心に聞いてくださいました。木幡副知事は飯館のご出身ということで、岡山県に避難している方たちにもいろいろな面で支援されています。
また、今回の会場の下見からいろいろと助けていただき、倉敷で被災者支援をされている平尾さんと生活支援課の職員も参加、そして京都からの社会人・学生スタッフも含めると参加者は20名ほどになりました。

倉敷

いつものように自己紹介の後、皆さんはそれぞれにこれまでの避難の経緯や今の思いなど、お茶を飲みながら語り合い、和やかな時間が過ぎていきました。
浪江町の地図を見ながら、懐かしい浪江の町並みに思いをはせ、やはり浪江町に帰りたい、でも帰れるのだろうか・・・。
3年が経っても、ふるさとを思う気持ちが一層強くなるのは皆さん同じですね。
でも、とりあえず、前向きに今の生活を大切に楽しみながら過ごしていこうと皆さん、おっしゃいます。
今回の出会いで、また新たなつながりができたことで、これからも小さなつながりをひとつずつつなげていければいいですね。
今回、お忙しい中ご出席いただきました木幡副知事、平尾さんに心から感謝申し上げます。

そして、私達もいつものことながら、また皆さんにパワーをたくさんいただいて、『また、明日から頑張ろう!辛いことがあっても、何のくらしき(倉敷)』ということで・・・
 
 物語館の前で
ブログ(イカにんじん) 020

何はともあれ、交流会も無事に終わり、【晴れの国・岡山】を実感することができ、雨女の私は、ホッとしております。(2月の会場下見のときは、岡山が初雪の日でしたので

そして、もうすぐ震災から3年目の3月11日が来ます。皆さん、それぞれがいろんな思いでその日むかえることでしょう。私自身も心穏やかにむかえたいと思います
まだまだ春先の不安定な時季ですので、くれぐれもご自愛くださいね。

この交流会の様子は、3月11日のNHKニュース(19時~)で一部紹介されますので、是非ご覧いただければと思います